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京都地方裁判所 昭和60年(わ)714号 判決 1989年2月28日

本籍

京都市西京区山田出口町一七番地

住居

右同所

電気器具販売業

澤田圭司

昭和一七年三月一三日生

本籍

京都市西京区山田出口町一七番地

住所

右同所

電気器具販売業手伝い

澤田昭子

昭和一六年八月一五日生

右両名に対する相続税法違反被告事件について、当裁判所は検察官松本恒雄出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人澤田圭司を懲役六月及び罰金五〇〇万円に、被告人澤田昭子を懲役四月及び罰金三〇〇万円にそれぞれ処する。

被告人らにおいてその罰金を完納することができないときは金二万円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

被告人両名に対し、この裁判の確定した日から各二年間その懲役刑の執行をそれぞれ猶予する。

訴訟費用はその二分の一を被告人両名がそれぞれ負担する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人澤田圭司は、澤田幸太郎の養子、同澤田昭子は右幸太郎の三女として、右幸太郎が昭和五七年一月五日死亡したことに基づき同人から財産を相続したものであるが、

第一  被告人澤田圭司は、自己の相続財産に係る相続税については全日本同和会京都府・市連合会会長鈴木元動丸、同会事務局長長谷部純夫、同会事務局次長渡守秀治及び小原靖弘らと、右澤田昭子の相続に係る相続税については同女及び右共犯者らとそれぞれ共謀の上、相続税を免れることを企て、自己の相続財産にかかる実際の課税価格が一億三、六三二万八、四七三円で、これに対する相続税額は三、七三七万八、〇〇〇円であり、右澤田昭子の相続財産にかかる実際の課税価額が一億〇、八五六万六、一〇五円で、これに対する相続税額は二、九七九万六、三〇〇円であるにもかかわらず、被相続人澤田幸太郎が有限会社同和産業(代表取締役鈴木元動丸)から一億七、三〇〇万円の債務を負担しており、自己においてその内の九、三〇〇万円を、澤田昭子においてその内の八、〇〇〇万円をそれぞれ承継したと仮装するなどした上、同年七月三日、京都市右京区西院上花田町一〇番地の一所在の所轄右京税務署において、同署長に対し、自己の相続財産に係る課税価額が四、三三七万四、四七三円で、これに対する相続税額は五一九万〇、二〇〇円であり、右澤田昭子の相続財産に係る課税価額が三、一五八万八、七〇五円で、これに対する相続税額は三七七万八、二〇〇円である旨の虚偽の相続税の申告書を提出し、もって不正の行為により右各相続に係る自己の正規の相続税額三、七三七万八、〇〇〇円との差額三、二一八万七、八〇〇円及び右澤田昭子の正規の相続税額二、九七九万六、三〇〇円との差額二、六〇一万八、一〇〇円をそれぞれ免れた。

第二  被告人澤田昭子は、自己の相続財産にかかる相続税を免れることを企て、前記澤田圭司、同鈴木元動丸、同長谷部純夫、同渡守秀治、同小原靖弘らと共謀の上、自己の相続財産に係る課税価額が一億〇、八五六万六、一〇五円で、これに対する相続税額は二、九七九万六、三〇〇円であるにもかかわらず、前記のとおり澤田幸太郎が有限会社同和産業から一億七、三〇〇万円の債務を負担しており、その内の八、〇〇〇万円を自己が承継したと仮装するなどした上、前記日時、場所において、前記右京税務署長に対し、澤田圭司をして自己の相続財産に係る課税価額が三、一五八万八、七〇五円で、これに対する相続税額は三七七万八、二〇〇円である旨の虚偽の相続税の申告書を提出させ、もって不正の行為により右相続にかかる自己の正規の相続税額二、九七九万六、三〇〇円との差額二、六〇一万八、一〇〇円を免れた

ものである。

(証拠の標目)

判示全事実につき

一  被告人両名の当公判廷における各供述

一  第一〇回、第一一回、第一三回、第一四回、第一五回及び第一六回公判調書中の被告人澤田圭司の各供述部分

一  第一七回、第一八回及び第一九回公判調書中の被告人澤田昭子の各供述部分

一  被告人澤田圭司(昭和六〇年六月二〇日付け及び同月二三日付け)及び澤田昭子(二通)の検察官に対する各供述調書

一  被告人澤田圭司(五通)及び同澤田昭子(二通)の大蔵事務官に対する質問てん末書

一  第四回及び第五回公判調書中の証人小原靖弘の各供述部分

一  第六回及び第七回公判調書中の証人飯村京子の各供述部分

一  第七回公判調書中の証人宮地綾子の供述部分

一  第八回公判調書中の証人林静代及び澤田のぶの各供述部分

一  第九回公判調書中の証人西川平の供述部分

一  第一二回公判調書中の証人長谷部純夫の供述部分

一  澤田のぶ、林政男及び濱元涼子(謄本)の検察官に対する各供述調書

一  大蔵事務官作成の税額計算書(昭和五七年一月五日相続澤田昭子分)、証明書及び報告書(謄本)

一  京都市西京区長作成の筆頭者澤田幸太郎の戸籍謄本

一  登記官作成の登記簿謄本六通

一  押収してある遺産分割協議書コピー二枚(昭和六一年押第七一号の一)、同遺産分割協議書一通(同号の二)及び同念書一枚(同号の三)

判示第一の事実につき

一  大蔵事務官作成の税額計算書(昭和五七年一月五日相続澤田圭司分)

(事実認定の補足説明)

本件各判示事実中、判示冒頭の事実は澤田幸太郎(以下幸太郎という。)の戸籍謄本等で認められ争いもなく、また、被告人両名の幸太郎の死亡に基づく相続税の申告金額については大蔵事務官作成の証明書添附の相続税の申告書によって明らかであり、正当な税額については大蔵事務官作成の税額計算書によって明らかであり、また、申告において判示のとおり有限会社同和産業から幸太郎が債務を負っておりそれを被告人らが承継するとしていたが、実際はそのような債務はなく、架空の債務を計上することによって、客観的に相続税を免れていることもその申告書および被告人らの供述調書等で認められ、これらの点は争いはなく、本件脱税について当時の全日本同和会京都府・市連合会会長鈴木元動丸、同会事務局長長谷部純夫、同会事務局次長渡守秀治らが同会の税務対策として脱税をしていたことは長谷部及び西川平の各供述で明らかであり、同人らと長谷部との共謀は予め成立しており、右西川についても申告書作成を通じて成立したことは明らかであり、また、小原については本件以前に自分の相続税について架空債務の計上により脱税しており、同人はこれを知って被告人澤田圭司(この補足説明においては単に圭司という。)に長谷部を紹介しているのであり、圭司に長谷部のことを話し、圭司の依頼に基づき長谷部を紹介し相続税の申告を長谷部を通じてなすことになったときに共謀が成立していることもあきらかである。次に、後記周辺事実に被告人らの各供述とりわけ被告人らの各質問てん末書及び検察官に対する各供述調書を総合すれば、圭司は、小原から税理士を紹介してやると言われ、その際に「そこに行ったら(相続税が)安くなる。公には使えない制度だけ(ど)、年に数回しか使えんけど安くなる。正規の税額の半分位でできる。」と言われ、その後小原の紹介を受けることにし、長谷部に相続税の申告を依頼したときに共謀が成立している。被告人澤田昭子(この補足説明においては単に昭子という。)については、同人が夫圭司により小原が「相続税は、たくさん取られるが、いい計理士さんを知っているから紹介してあげようか。その人なら利口に計算してもらえる。」などと聞いて来、税金が正規の半分位になる旨話され、相談の上圭司を通じて申告の依頼をすることにしたときに共謀があったものと認められる。なお、圭司の当初の認識は架空債務の計上といったような具体的方法までは知らない何らかの不正な方法により税額を半額程度にするとの不正の認識であり、手書きの遺産分割協議書を見ることによって架空債務の計上によって脱税することの具体的認識が生じたものであり、脱税額については林から聞いて母を含めて相続人全員にかかる金額が約七、〇〇〇万円である旨の認識を有していたところ、申告書に押印した時及び税務署で税金を納付した際に支払った税金が全員で一、〇五二万〇、四〇〇円であることを認識し、その間の金額を脱税している旨具体的に認識したものであるが個々人の脱税額がいくらであったかまでは知らなかったものと認められ、昭子の当初の認識としては圭司よりも漠然とした不正の認識であり、手書きの遺産分割協議書を見ることによって架空債務の計上によって脱税する方法を具体的に認識したもので、脱税額については圭司と同様全員で約七、〇〇〇万円である旨の認識を有していたところ、圭司より納付書・領収証書を見せられ、その説明を聞いて一、〇五二万〇、四〇〇円しか納税していないことを具体的に認識し、その間の金額を脱税している旨具体的に認識したもののそれを放置したまま法定の納付期限を徒過させたものであるが、自己の脱税額がいくらであったかまでは知らなかったものと認められる。

ところで、被告人両名の弁護人は、本件各事実の客観的事実については争わず、被告人両名の主観的側面すなわち故意の内所得の存在についての認識はこれを認めるものの、不正の行為を相続税申告に当り有していたとの認識及びほ脱結果の発生についての認識がなかったと主張し、ひいては共謀の事実を争い、被告人両名の大蔵事務官に対する各質問てん末書及び検察官に対する各供述調書は誘導や教え込みなどによって作成されたもので信用することができないものであると主張するので、この点について判断するに、まず最初に前掲各証拠中被告人両名の質問てん末書を含む供述調書を除いた証拠とこれを補充する限度で必要な被告人らの供述で争いのない部分によれば、次の事実が認められる。

すなわち、

圭司は、もと松田圭司であったところ、昭和四二年一一月二〇日昭子と婚姻することになったが、その際圭司は昭子の両親である幸太郎及びその妻のぶの養子となり、澤田姓となった上で昭子と婚姻届けをした。これは、幸太郎及びのぶの子供は皆女性であり、長女の綾子は婚姻して宮地姓となり、二女の京子も婚姻して飯村姓になったため、幸太郎らのあとを継ぐ者がいなかったため圭司を養子としたものと思われる。被相続人である幸太郎は一〇年余りの闘病生活の後、昭和五七年一月五日死亡し、相続を開始したが、法定の相続人は妻ののぶ、被告人両名及び幸太郎の他の子である長女宮地綾子、二女の飯村京子及び四女林静代であったが、それまでの経緯から圭司らが澤田家のあとを継ぐのであり、それゆえ幸太郎の財産は圭司らで相続するものと当然の如く考えられていたものと思われ、特別に相続について協議した訳ではないのに、飯村京子や林静代は遺産分割に異議を述べていない。同年二月に入って七日毎の法要の際、圭司より四女静代の夫である林政男に対し、同人が京都市の職員で税務関係の仕事をしていたこともあることから相続税がおよそいくらになるか計算を依頼し、これを受けて林政男は申告書用紙を右京税務署に取りにいき不動産の評価を調査するなどした上、同月二一日の幸太郎のお骨納めの日に圭司及び昭子に対し直接相続税の説明をしている(この月日については、林の調書添附の日記帳等によりほぼ間違いない。)。この説明について林は、区役所へ行って調査するなどし、相続財産の見込額は四億〇、八五九万円、被課税額は三億六、四五九万円、義母を相続人に含めれば税金は六、九二〇万四、〇〇〇円余りとなるが義母を除けば一億三、八四〇万円余りとなることが分り、この調査に基づき圭司及び昭子に話をしている。この話を具体的にどこまで詳しくしたかは明確にはなっていないものの、林はメモ等を記載しており、税金が高額であることなどから、具体的数字をあげて話している可能性が高いものと思われる。被告人らは相続税が極めて高く、幸太郎の遺産は預金等は少なく、不動産を売却して相続税を払わなくてはならないと困惑していたところ、同年四月ころ圭司が小原の家にアンテナ撤去に行った際、小原から良い計理士を紹介してやろうと勧められているが、その際、小原は、同人が自己の相続税に関し昨年したことの概略の説明をし、長谷部を紹介してやる旨及び後日返事してくれと言ったというのであり、納税者は正当税額の五〇パーセント位を同和会に払えば済む旨説明しているが架空債権の事は話していないと供述している(第四回公判調書)。その後、圭司の依頼を受け、小原は全日本同和会の事務局長の長谷部を紹介することになるが、長谷部の電話連絡帳の四月七日欄に「小原さんと一一時半ころに澤田氏が一緒に来ることになっている。」という予定記載があり、長谷部は第一二回公判でそれが一番最初にお会いした時やと思う旨供述していることからすれば、圭司が小原から相続税の件で人を紹介することとなったのは七日以前のことであると認められる(小原は五月中旬に長谷部を紹介した旨供述するが時期の点は記憶違いをしているものと思われる。)。七日に圭司が連れていかれたのは御池通りにある全日本同和会の事務所である。長谷部は一般的には、確認事項に基づいて税務署で配慮していただける旨の説明をしているというが、澤田にどこまで話したか記憶がないと供述している。その日あるいはその後圭司は長谷部の紹介で西川の事務所へ行き、その場で申告手続きを依頼し、その後小原を通じるなどして必要な資料を届けており、四月二七日西川の税務手帳に「澤田分の資料追加分」とあることから、この日にも申告に必要な資料を届けているものと認められる。なお、中川工務店の松本がマンション建設に関し澤田の家に最初に行っているのは同年五月一七日である(松本の公判供述及び手帳の記載がある。)。法要の際などに、圭司が相続について宮地綾子にも、遺産分割協議に判を宜しくとの依頼をしていたが、飯村らと違って、綾子は良い返事をせず、のぶなどに電話を通じて依頼していたところ、綾子は幸太郎が土地を買う際に金を出したとして土地についても相続したい旨言ってきたところ、圭司らは土地が細分化されることを好ましくないと考え、なんとか了解してもらおうと小西などにも労をとってもらったが、うまくいかず、綾子に京都まで来てもらいそこで説得することになり、同年六月に京都の筍亭で小原、小西が綾子の説得に当っている。なお、この席に小原に頼まれて長谷部は行っている旨公判で供述している。一方、同年六月二三日西川の税務手帳の同日欄に「一一時澤田氏来所協議書二部(渡し)」及び「春日氏来所登記用作成依頼」と記載してあることから、西川が圭司に手書きの遺産分割協議書を直接渡した可能性がない訳ではないが、西川は公判では長谷部に渡した可能性があると、また検察官に対しては長谷部あるいはその使いの者に渡した可能性もある旨供述していたものであり、この記載から圭司に渡したとは断定できない。また、春日に登記用を作成するよう依頼したとあることから、渡されたのは手書きの遺産分割協議書であって、タイプ打ちの協議書は未だできておらず、その後作成されたことが分る。手書きの遺産分割協議書には、不動産を圭司及び昭子が相続する旨の記載がある他、4において「圭司が幸太郎の次の債務を承継する」旨記載し、その(3)において「有限会社同和産業よりの借入金九、三〇〇万円也」と、5において「昭子が幸太郎の次の債務を承継する」旨記載し、その(1)において「有限会社同和産業よりの借入金八、〇〇〇万円也」と各記載されており、四枚程度のものであることなどから少し注意すれば、幸太郎の遺産でないものが記載されており、幸太郎の同和産業からの負債中九、三〇〇万円を圭司が引き受け、八、〇〇〇万円を昭子が引き受けるとしていることがすぐに分かるものとなっている。また、同協議書は署名部分の後に追加協議事項の記載があり、宮地綾子が一、三〇〇万円也を代償分割財産として取得する旨記載されている(この部分は後記のとおり、後で追加記入されたものである。)。この手書きの遺産分割協議書は、昭和五七年六月二七日付けとなっているが、念書の日付と対比すると、当初宮地が京都に来る予定の日が二七日だったことから、宮地の来る予定の日に合せて予めその日が記載されたものと思われる。右手書きの遺産分割協議書の他に昭和五七年六月二九日付けのタイプ打ちの遺産分割協議書があり、これは西川からの依頼で司法書士の春日事務所において作成された不動産についてのみ記載されている遺産分割協議書であり、不動産について相続登記するため及び農協から不動産を担保に五、五〇〇万円を借入するために使われたものである。また、昭和五七年六月三〇日付けの宮地綾子の念書が有り、この念書作成の日に相続人全員が集り、手書きの遺産分割協議書に署名押印したことも争いはない。なお、小原は全員から署名押印をもらう前に事務所で圭司及び昭子に「税金が安くなるのはここに原因がある。」という程度のことは説明している旨供述している(小原第四回供述部分)。なお、飯村らは求められて各協議書に署名したりなどしているが、詳しい内容は覚えていないとそれぞれ供述している。同日宮地綾子は、念書にも署名押印し、その場で現金一、三〇〇万円を受け取り、一番最初に帰っているが、遺産分割協議書について説明はなかった旨供述している。西川の税務手帳の昭和五七年七月一日の欄に「澤田来所(相続税の件申告)」とあり、西川はその日に圭司が判をついた協議書を持って来たこと及び圭司が手書きの遺産分割協議書を持ってきたときに捨印を使って追加協議事項を事務所で書き入れた旨供述している。また、西川の税務手帳には、昭和五七年七月二日の欄に「正午すぎ、長谷部氏来所(相)書類完了渡し」とあり、使いの人か長谷部に申告書を渡している旨供述している(なお、西川の税務手帳の記載は澤田と長谷部を区別して記載していることなどから、澤田来所とあるのは、圭司が来所している可能性が高いものとも言える。)。昭和五七年七月三日幸太郎の遺産を相続したことについての相続税の申告書を右京税務署に提出していることは、同日付けの受理印が申告書に押印されていることからも明らかであり、その申告書に押されている被告人らの印鑑は遺産分割協議書に押された実印とは異なり、簡単なものである。同日付けの納付書・領収証書も三枚有ることから、相続税として圭司の分五一九万〇、二〇〇円が、昭子の分三七七万八、二〇〇円が、綾子の分一五五万二、〇〇〇円が小切手で各納付されたことも明らかである。なお、圭司は農協から借りた五、五〇〇万円を小原の指示に従って七月三日小切手五通及び現金に分けて持って行き、前記税金を支払って後、残りの小切手及び現金は長谷部が持って行ったことは争いがないが、その内一、二〇〇万円の小切手が小原に渡り、小原の依頼で濱元が協和銀行千本支店の坂元国治名義で預金している(小原から一六〇万円の現金も渡され合せて預金している。)ことも明らかであり、他の金員も長谷部らに渡っているものと思われる。

これらの事実(以下周辺事実という。)を踏まえ、被告人らの供述調書の信用性について更に検討するに、

被告人らの質問てん末書は、本件事件で捜索を受け、圭司が逮捕された日である昭和六〇年六月一一日付けのもので自宅で取られたものが各一通、翌日の一二日昭子が検察庁でとられたものが一通、一三日、一四日、一五日、一七日に圭司が検察庁で取られたものが各一通あり、被告人らの検察官に対する供述調書としては、圭司の六月一八日付けの身上関係の調書一通、同月二〇日付け及び同月二三日付け各一通があり、昭子の六月一七日付け及び六月二一日付けの各一通がある。ところで、自宅で取られた質問てん末書において被告人両名がいずれも不正な税務申告である旨認めている点が特徴的であり、かつ、前記他の証拠で認められる事実と時間的経過において合致する供述をしているのであり、例えば昭子の昭和六〇年六月一一日付けの質問てん末書においては、「小原から良い計理士を紹介してあげると言われて、依頼することになったこと。小原は税金を安くしてもらえると言って、圭司を同和会に連れて行き、長谷部さんという人に会わせてもらい、そこから税務署へ申告すれば何でもそのとおりに通ると言われたと言っていたこと。圭司は何度か長谷部と会っているが、相続の件で用事がある時は、小原が電話か店先に見え、圭司を呼出し、喫茶店などで話をして、申告に必要な書類等を集めて提出していたこと。小原が店に見えられた際に、圭司と昭子で綾子が相続手続きに必要な署名押印を拒んでいると伝えたところ、長谷部さんと一緒に一度会って話をしてあげようと言われ、昭和五七年六月初旬に筍亭で姉と会って話し合ってもらったことや再度小原が店に見えたとき圭司と昭子の前で父が綾子に貸していた六〇〇万円と一、三〇〇万円を現金で支払うことで話がつき、六月末までに現金を用意しておくように言われたこと。小原から六月末ころ、相続税は、全部で七、〇〇〇万円見当になるが、それを五、五〇〇万円で済ませるから、この金額を京都市農協松尾支店で借入するようにしなさい、と言われ、圭司が同農協で二人の名前で借入れたこと。七月三日圭司は小原と一緒に右京税務署に行き、長谷部とも会って相続税の申告及び納税を済ませたこと、圭司は小原に言われて、小切手数枚と現金で五、五〇〇万円を用意し、税務署で税金を支払い、残りの小切手と現金は帰り道で全部長谷部さんと思うが預けたと言っていたこと。圭司の持ち帰った相続税の領収証は一、〇〇〇万円程度であり、当初五、五〇〇万円が税金になると思っていたが、領収証にある一、〇〇〇万円が税金であることが分り、五、五〇〇万円と税金の一、〇〇〇万円程度との差額は、長谷部などの手数料になっているものと思ったこと。税金が約七、〇〇〇万円であるのに、これを五、五〇〇万円に安くしてもらったと思っていたのが、実際は一、〇〇〇万円程度だったから、差額の六、〇〇〇万円の税金を過少に申告していることは良く分っていたこと。姉妹全員が六月末に集まったとき、小原から相続税は同和産業から一億七、〇〇〇万円位を架空に借入れして、安くなるようにしていると言われたと思うこと。同和産業からの架空の借入金があり、これが長谷部の関係であることも知って非常に不安でしたが、税金は安い方が良いので、ごまかしに応じたこと。宮地綾子との関係で、母に不動産を残しておくと今後とも問題が生じるので圭司と二人で分けることにしたこと。」などと詳細な供述をしており、その事実は前記周辺事実と合致している。このことは同人の同月一二日付けの質問てん末書についても言えることである。昭子は、当初小原に依頼したころは、税金をごまかすつもりはなかったことなどの弁解もしており、記憶にないことはないと言っているのであり、筍亭で綾子を説得したことに関し叔父の小西が「めずらしいたけのこ料理をよばれた。」と言っていたことがあって小西もいたとか、昭和五七年六月三〇日集まったときの、来た者の順番などを詳しく供述した上、綾子が帰った後妹が「姉さんも大きい顔をしていた。」と話していたこととか、皆が帰った後昭子が圭司に「同和からの借入をつくって税金を少なくしているんだね。」と尋ねたところ、圭司も「架空の借入一億七、〇〇〇万円をつくって税金を安くなるようにしているのだ。」と言っておりましたとか、農協から借りる五、五〇〇万円を五枚の小切手と現金に小原から言われたように分けてもらった際「銀行で何枚もの小切手に分けてもらうのは、かっこう悪いなあ。」と言って出掛けたとか、税金が約一、〇〇〇万円でしかないことを知った際、ごまかしをしている結果ですから、落ち着かず、主人から小原さんに「これで良いのか。」と念を押して尋ねてもらいましたが、圭司は「小原さんは大丈部であると言っている。」と言っていたとか、被告人らでないと分らないことを供述しているものであり、その供述が任意になされていることが分り、大蔵事務官が押付けたり、誘導したりしたものとは思われず信用性は高いものである。圭司の質問てん末書は、最初の一通を除き昭子の質問てん末書が作成された後に取られているが、昭子の質問てん末書に合せているわけではなく、その経緯等については類似の供述がなされているが、違った記憶に基づいて供述されているものと認められるものである。同てん末書中昭和五七年六月三〇日に皆が集まって手書きの遺産分割協議書を作成したことに関し、当日皆が帰った後で母が居るところで「同和からの借入は嘘がばれないだろうか。」と心配顔で言われ、私も心配でしたが、税金を過少にするための方法であると答えた記憶がある旨供述しているが、前記昭子の供述とは表現等において異なり、圭司がその記憶を喚起して供述していることを示すものと認められる。同様に、税金を支払った後店に帰って昭子に「向こうに取られた方が多くて、税金はこんなに少ないんだ。」と言って三枚の領収証を渡したところ、昭子も領収証を見てびっくりしていた旨の供述も信用性が高いものと認められる。これらの調書をふまえて整理し、被告人らから再度事情を聞いて作成されたものが、検察官に対する供述調書であるが、それらの調書は前記周辺事実にそうもので、具体的であり、さりとて被告人両名の供述を合せたようなものではなく、昭子の昭和六〇年六月一七日付け検察官に対する供述調書においては、圭司から同人が全日本同和会の事務所に行ったことなどを聞かされていないかと問われ、聞いた覚えがない旨の弁解をとっているなど、その前後の状況や夫との関係などからみて当然知っているのではないかと疑われることに対し、昭子の言い分を記載しているなど、特に不審な点があるとは認められない。弁護人は、調書が検察官の誘導や押付けによって作成されたかのように主張するが、一般的に不自然と思う点やあいまいな供述をより明確にするため、あるいは他の証拠との矛盾点などをなくすため事実関係を追及したりして調書が作成されることがあることは否定できないと思われるものの、本件においては、例えば西川の税務手帳には昭和五七年六月二三日の欄に、「一一時澤田氏来所協議書二部(渡し)」と記載されており、その協議書は手書きの協議書であったのであるから、六月二三日の段階で圭司に手書きの遺産分割協議書が渡っているとする方が捜査官にとって都合が良く、裏付けとなる証拠もあると言えるのであるから、押付けをしているのなら圭司の調書などにおいて二三日に西川の事務所で圭司が直接手書きの遺産分割協議書を受け取っている旨供述させてもよさそうであるのに、圭司の昭和六〇年六月二三日付けの検察官に対する供述調書においては、「当日かその前日ころに確か私が小原から受け取ったもの」と記載されているのであり、また、林政男から相続税に関して聞いたことについても、同人が計算をして約いくらの税金がかかるかを調査した結果を知っているのであるから、より具体的な金額を林から聞いた旨の調書を作成してもいいと思われるのに、圭司の同月二〇日付けの調書では「林が調べたところによると、ざっと私達夫婦と幸太郎の妻のぶが相続人となった場合、税金は七、〇〇〇万円位ですが、のぶを除いて私達夫婦で相続すると相続税が一億以上かかる。ということでした。」となっており、六、九二〇万円又は一億三、八四〇万円といった金額はともかく、一億四、〇〇〇万円程度という金額も記載していないのであって、これらのことから見れば押付けがあったなどとは認められない。

弁護人らは詳細な主張をしているので、ポイントとなるような点について更に付言するに、昭子の調書につき、弁護人が取調べ側の誘導例として、昭子が有限会社同和産業の架空債務を計上するという方法で脱税をはかった事実の認識経過についての供述の変遷をあげているが、その点に関しては、当初「・・であった。」などと断定的に言わずに「・・と思う。」と言っていたことは、あいまいな言い方であると言えるのであって、「皆の前で言うはずがない。」ということも、理屈と言えば理屈であるが相続税に直接関係しない者や遺産分割に異議を唱えた綾子の前で脱税のことに関して言うはずはないという状況認識を言っているものとも考え得るものであり、単なる理屈と決めつけるわけにはいかないものである。また、弁護人は三年もたっていれば、記憶は当然固定化しており供述が変遷するのはおかしいと主張するが、必ずしもそのようなことは言えないことも経験することであり、何等かの方法で架空債務の計上のことは知っていることは間違いないが、その経緯について今一つはっきりせず、こうだったかもしれない、ああだったかもしれない、ともかく知っていたということも十分考えられることである。同様の誘導の問題を圭司の調書についても主張するが、記憶の固定化についての弁護人の主張するところは直ちに賛同することができないものであり、いろいろと供述していることが任意な供述状況を示すものとも言えるのであり、順次追及されて記憶をたどっているものと考えることもできるものである。圭司に手書きの遺産分割協議書が渡された日についても、即断はできないが、被告人らの供述を総合すれば六月二九日に渡されたことも十分考えられるのであり、特に誘導とは言えない(なお、本件においては同協議書作成の前日あるいは当日に小原から渡されその内容の説明を小原から被告人両名が受けるなどして記載内容を認識していたと認定することができれば十分であると考える。)。

次に、中川工務店のマンション建設に関し、もし幸太郎に負債があった場合資産から負債は控除されると言われたことを思い出し、架空の債務の計上をしていることを認識したことの説明をしていることについて、中川工務店の担当者松本が本件相続税の申告以前に右説明をしている可能性はなく、これは捜査官の押付けによりなされたものであると主張する点については、証人松本宣夫は、昭和五七年五月一七日に初めてマンションの建設に関し澤田方へ行き、その後何度か行っているというのであり、調書記載のようなことを話す機会がなかったというものではなく、五月ころは税金関係の知識はなく、被相続人に債務がある場合それが資産から差引かれることは知らなかったし、そのような話を澤田にはそのころしていない旨供述しているが、税金関係の知識がなかったという根拠は、昭和五六年一一月中川工務店に入って、法的なこと、建築のことも分らなかったし、税金のことも知らなかったということにとどまり、裏付けのある話ではない。松本は住宅金融公庫から融資を受けマンションを建設し、その建設したマンションの入居の斡旋までする者であり、融資にからむ金銭関係のことに通じていなければ仕事が十分できない者であり、融資を受けマンションを建設し、入居者を確保すれば、資金回収もでき、マンションという資産も残るなど有利な話をすることができる者であったと考えられる。また、松本は弁護人がいうように利害関係のない第三者たる証人とまでは言えない者であり、被告人らに有利に供述している可能性のある者である。中川工務店のことは当初圭司の昭和六〇年六月一四日付けの質問てん末書に、圭司が工務店の人なら土地の事についても詳しいだろうと考えて、不動産の相続の方法を尋ねたこともあったとして話が出たものであり、圭司は同月一七日付けの質問てん末書においても中川工務店の話を出しているが、これらの記載から直ちに検察官に対する供述調書において記載されている内容が推認されるわけではなく、検察官は中川工務店の関係者から事情を聞いていたわけではないのであって、その知っていた供述を押付けたものとも思われず、被告人らの内のどちらかが、圭司が中川工務店に相談したことがある旨言っていたことにからんで事情を聞かれた際調書のような話をして、もう一方の者にも聞いたところ同じことを言ったため、供述調書に記載したと思われるものである。両者が共に供述するのは押付けがあったと見るより、その供述にそう事実があったとみる方が素直なことなのではなかろうか。なお仮に、この点が被告人両名の時期の取違えによる供述であったとしても、被告人らの検察官に対する供述調書全体の信用性までがなくなるものとは言えないと考える。

次に、昭子の供述の不自然さに関し、税金が五、五〇〇万円であると考えていた点について言及するのでこの点について考えるに、昭子のノートには相続税総額として、五、五〇〇万円也と記載されていることは事実であるが、税金及び手数料を分けて記載すれば脱税をしていることを明記することになるものであり、通常記載しないものと思われる上、圭司が小原のみでなく長谷部らに相続税について尽力してもらっていることを知っていながら、長谷部には謝礼を出すことを考えていなかったというのも不自然であり、長谷部らに対する謝礼を含めた金員が五、五〇〇万円であったため、合せて記載したと考えられるものであり、小原は同和会の関係者であるとは被告人らは考えていないのであり、小原が五、五〇〇万円の中から謝礼を受けているかどうか分らなかったこともあって、小原に対し五〇万円とビールを渡した可能性もある。また、仮に何らかの謝礼が長谷部を経由していっていると思っていたとしても、申告のこと以外に綾子の件で特別に尽力してもらっているのであり、綾子の説得に立会った親族の小西にまで謝礼を渡していることから、被告人らが捜査段階でいうように綾子説得の謝礼と解することもできるものである。よって、小原に五〇万円とビールを渡したからと言って、またノートに五、五〇〇万円と一括して記載しているからといって、納付書・領収証書を見ているなどしているのであるから、全てが相続税になったものと考えていたとは思われない。このことを前提にすれば、昭子の供述を不自然とは必ずしも言えないし、一見不自然な供述にみえる部分があったとしても、それをもって直ちに弁護人がいうようにその供述が信用できないとするほどのものとは思われない。

次に、圭司の昭和六〇年六月一五日付け質問てん末書について、不自然とする点は、「圭司は申告書を見て税金が一、〇〇〇万円程度であることに気付き「これは逆過ぎる。」と考えたものであり、七月三日申告手続きを終えてた後、長谷部に税金を払った残りの小切手及び現金を渡して後においては、店に帰えり次第妻に「向こうに取られた方が多くて、税金はこんなにすくないんだ。」と言って三枚の領収証を渡したのですが、妻も領収証を見てびっくりしておりました。」というのであり、前半の驚いた主体は圭司であり、後半の驚いた主体は昭子であり、その驚いた主体が違うのであり、調書そのものがおかしいというわけではない。また、申告書を見て驚いたなら、その話は当然その日の内に昭子に話すであろうことであるのに、それをしていないのは不自然だと主張するが、確かに圭司と昭子の関係からすればいろいろ話をしていることはあると考えられるものの、本件は圭司が小原から紹介を受けて長谷部らによって申告手続きをとってもらうことになったもので、言わば圭司により重い責任がある場合であり、多少の負目があったとも考えられるのであり、申告手続きも最終段階に来ており、この段階で他の手立てをとる訳にはいかない状況であり、また昭子に話してもどうなるものではなく、余りに逆だと思いながらも、ついつい話しそびれるということは十分に考えられる。また、検察官に対する供述調書にあるとおり、数字上のことでありピンとこなかったこともありうることである。申告を終って後には領収証書を妻に見せなくてはならず、その結果妻昭子もびっくりし、こんなんで大丈部だろうかということになり、小原に確認することにつながったというのは、自然な供述であり信用しうる。検察官がこの点について不自然さを感じ、「まだ金を納める前でしたので、特に強くは思わなかった。」などと言わせたと主張し、かつそれでも不自然であると言うが、検察官が不自然さを感じたのであれば自然なようにするとも考えられ、それをしないまま供述をさせているのは、不自然さは残るものの圭司がそう説明するのであればそういうこともありうると考えたためで、必ずしも検事が作文したものとは言えないものと考える。

更に、昭子の供述調書に専門用語が使われている点なども問題にしており、その点平易な表現を使う方が良いことは確かであるが、昭子は大学卒業ではないものの、府立の桂高校を卒業し、その後民間会社に事務員として勤めるなどし、株式会社キリノ設立当時から仕入れや売上げなどの帳簿記帳の事務を担当していたものであり、公判廷における供述状況などからみてもしっかりしており、その知的レベルも低くないと思われる者であって、調書に使われた用語の厳密な意味は別として概略の意味は十分認識しえたものと思われる。

(法令の適用)

被告人澤田圭司の判示第一の各所為及び被告人澤田昭子の判示第二の所為はいずれも刑法六〇条、相続税法六八条一項に該当するところ、被告人澤田圭司の第一は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の重い澤田圭司に関する相続税法違反の罪の刑で処断することとし、情状により懲役及び罰金を併科することとし、その各刑期及び金額の範囲内で被告人澤田圭司については懲役六月及び罰金五〇〇万円に、澤田昭子については懲役四月及び罰金三〇〇万円にそれぞれ処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金二万円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置することとし、被告人両名に対し情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右各懲役刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文によりその二分の一を被告人両名にそれぞれ負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、被告人らが全日本同和会の事務局長らと共謀して、架空債務の計上という不正の手段を使って、被告人澤田圭司の相続税につき三、二〇〇万円余り、被告人澤田昭子の相続税につき、二、六〇〇万円余りを脱税したというものであり、同和団体の圧力を利用し、多額の相続税を免れたもので、その刑事責任は重いと言わなければならない。また、公判においては不合理な弁解をしている面も否定できないのであり、その反省の情においていささか問題なしとしないところもあると思われる。一方、本件脱税は林の説明により多額の相続税の支払いが予想され、澤田家を継ぐことになった被告人澤田圭司としてはその財産を減らすことになるなどのこともあって、苦慮していたところ、たまたま小原から税金が安くなると持ち掛けられて、その話に乗ってしまったことが発端であり、全日本同和会の事務所というそれまで関係のなかったところの者を紹介され、税金が安くなればと考え、その者らの指示に従ってしまったものであり、架空債務の計上という脱税の手段も同和会の者が決めたもので、その具体的方法については手書きの遺産分割協議書を見るまで被告人らは知らなかったものであり、また、脱税する金額についても具体的には被告人澤田圭司は申告書を見るまで、被告人澤田昭子は申告後納付書・領収証書を見るまで知らなかったもので、これらの点については同和会の長谷部らが自已の報酬や約半分位で済ませると言っていたことを踏まえて決めたもので、被告人らは五、五〇〇万円の内の多くが税金になると考えていたのであって、一、〇五二万〇、四〇〇円のみが税金とされていることを聞いて「逆ではないか。」と思い、不安をもっていたのであり、被告人らは五、五〇〇万円を出し、税金となった右一、〇〇〇万円余りの金員との差額は手数料として小原や長谷部などに取られてしまったものであり、判断の誤りがあったことや、事情が分って後は手を引き、正当な申告をすべきであったと言い得るものの、ある意味では被告人らは被害者的立場にあるとも考えることができるのであって、結局本件が発覚して後、修正申告をし正当な税額を支払う一方加算税も支払うことになったもので、結果として加算税及び長谷部らに支払った手数料を余分に支払うことになったのであり、その経済的痛手は少なくないことも認められる。被告人らは本件を除き真面目に生活してきたものと認められ、前科はもとよりなく、再犯のおそれもないものと認められる。被告人らは、弁解をしているが、反省していることも間違いないものと認められる。以上、有利不利一切の情状を総合し、とりわけ罰金刑については被告人らの受けた財産的損失をも十分考慮して、主文のとおり量刑するのが相当であると思料する。

よって、主文のとおり判決する。

求刑 被告人圭司 懲役六月及び罰金一、〇〇〇万円

被告人昭子 懲役四月及び罰金七〇〇万円

(裁判官 上垣猛)

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